私は現在47歳。
今現在は大型トラックのドライバーをしているが、いままでたくさん仕事をしてきた。
その度にかみさんに迷惑をかけてきたが、その変えてきた仕事ひとつひとつがいまの私の知識と経験になっている気がする。
私の通っていた大学が理系だったこともあり、一番最初に就職した会社の仕事はノートパソコンの設計だった。
CADと呼ばれる三次元設計ソフトみたいなもので1日作業を行った。
朝一番に上司とミーティングして1日の予定を指示された。
いま思い出させるのはノートパソコンの端にある電源が入ったときに光るインジケータ部分の設計だった気がする。
世の中から見ればかっこいい仕事のようにみえるかもしれないが、私にとってはすごく憂鬱だった。
1日設計室の中にはクラシック音楽が流れ、物音ひとつしない静かな部屋で、マウスのカチカチっという音だけが響いた。
【あ~!!】と何度も叫びたい衝動にかられた。何か違う‥私のやりたいことじゃない!!といつも感じていた‥。
私の性格上、設計ソフトの画面で形を生み出すことより、その設計をもとに実際形にする製作現場の方が性に合っていたのかもしれない。
あまりにもストレスを感じて、数年働いてその会社を辞めてしまった。
今もそのメーカーは冷蔵庫やテレビなどですごく有名な企業であるが、私がその会社を辞めた数年後にノートパソコン開発部門は無くなってしまった。
あのノートパソコン開発メンバーはみんなどこにいってしまったのだろうか‥。
そのあと‥大学の機械工学を専攻したこともあり、機械部品で構成されるエンジンにすごく興味が沸いた!!
これ触る仕事がしたい!!と強く感じた!!
先ほども説明したように実物にさわることが好きだったので、バイクに乗っていたこともあり、全国に展開するバイク屋に就職した。
国産のヤマハ、ホンダ、カワサキ、スズキ、外国のバイクであるハーレー、BMWなど数多くのバイクに触れることができた。
毎日がすごく充実していたが‥数年後‥
そのなかでハーレーダビッドソンというバイクが私の心にすごく突き刺さった。
この会社の成り立ちや考え、エンジンの仕組み、形状、あらゆるものが私の心を揺さぶった。
そしてハーレーのみを扱うバイク屋に転職した。給料は激安、労働環境は最悪だったが、毎日がすごく幸せだった。
でもいま思い起こせば、そのときのかみさんの心の中は不安でいっぱいだったと思う。
この先の夫婦2人の生活、生まれたばかりの子供生活などあらゆるものが不安でいっぱいだったと思う‥。
そんな気持ちには全く気づかず、ひとりハーレーに突っ走っている自分が今思うと情けない‥😂
いまこの分を読み返して全く【釣り】とは逸れた話をしているが‥このまま文を書き続ける!!
長いので次回に続く‥。
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